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2018.04.28
日本の散骨の歴史 1.火葬の始まりと葬儀
日本の火葬率は、99.98%と、世界一を誇っています。その歴史をさかのぼると紀元前600年ころになります。
紀元653年に遣唐使に追行して帰国した法曹宗の開祖となった高僧道昭が、紀元700年に遺命して自らを荼毘に付されました。これが我が国の火葬の起源だということが「続日本記」に記されていますが、大阪の堺市にあるカマド塚や和泉市の聖神社の古墳などの遺跡の発見により、火葬の風習はそれ以前にあったとも言われています。
第53代の淳和天皇は、「いま、骨を砕いて粉として、山中に投ずべし」という宣旨(せんじ)を出し、840年に自らの火葬後の焼骨を京都、大野原の西山に散骨させ、山稜を作らせなかったといいます。遺灰をまくという習慣は、奈良時代に広く行われていたと言われています。
「玉梓の妹は玉かも あしびきの 清き山辺に まけば散りぬる」の歌のように、万葉集には散骨について描写した歌がいくつかあります。
江戸時代の初期に幕府は、キリシタン禁圧をねらって、寺院に檀家の戸籍を把握させたので、寺院が墓地を管理し、火葬を実施するのが一般的になりました。この檀家制度により庶民の間にも墓への埋葬が広まり、また、五人組制度の強化により、一般庶民も互助共済によって葬儀を手厚く執り行うことが増えました。江戸時代は幕府の政策である檀家制度によって葬儀から遺体・遺骨の埋葬供養に至るまで、寺院が絶対的な権力を有し続けたため、お墓を建てない散骨のような弔い方法は、あまり記録が残っていません。